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マドリッドの美術館巡り-1(イベリア航空直行便)

2017/08/14
 マドリッドへ~~~市内美術館めぐり

 マドリッドのバラハス国際空港。ターミナルT4sは入国より帰国時の手続が大変ですよ。うっかりしてると乗り遅れる危険が高い(笑)。
始めてこの空港を利用される方は十二分に気をつけながら注意深く移動しよう。
 
 ターミナルの規模が巨大で歩く距離も長い。動く歩道が完備されていても距離がたっぷりあるから急いで歩く。やがて息切れする。
途中で誰かに英語で道順を教えて貰うのも簡単でなく難儀。
また足腰に自信がない人は時間を十二分に余裕を持ってゆっくり行動する必要がある。あちこちかなりの距離を歩かされるので。
航空会社の搭乗券受取りカウンターと出国審査はT4ターミナルで。
ホテルからはT4ターミナルまでタクシーかバスが便利。
出国審査が終ってターミナル内に入ったらすぐにT4sターミナル行きのシャトル乗場に移動する。右に曲がるか左に曲がるか間違えると大変です。
延々と歩かされてT4sシャトル乗場の階段を下りてホームへ。
シャトル電車は3分でT4sターミナルに到着。エスカレーターを上がるとそこはもうターミナルのショッピング街。
Businessクラスのラウンジはすぐ判る。まずは一休み。快適な空間。用意されてる豊富な種類の食べ物をしっかり食べておいた方がいい。
ラウンジから搭乗口までは15分はかかるので休憩は早めに切り上げて搭乗口に行って待った方が安全。
 
 今回はイベリア航空の成田ーマドリッド直行便のBusinessクラス利用した。中型のエアバスなので大型ジャンボ機に比較すると予想通り座席はぐーと狭い。縦横ともに余裕がないので苦しい。水平になって睡眠を取る際は両膝以下は狭いボックスに突っ込んで自由に動かせない。
  搭乗前に抱いていたBusinessクラスで楽々と安眠して行けるというイメージは粉砕される。また往復和食コースをえらんだが、はっきり言って落第でしょう。
マドリッド市内の名のしれた和食店は値段も比較的安くかつ味も良かったのに。特に刺身定食や寿司定食が旨いですよ。マドリッドで寿司三昧を。
 世界で最初に営業始めたというレストランが市内の繁華街にある。日本人客が大勢います。巨大な牛のステーキは3人でも食べきれない。
 元気溢れるスーパー老人3人が主役のジャズバンド。特に88才という年を全く感じさせないリーダーのクラリネット奏者。迫力満点の見事なクラリネット技法を披露してくれた。感激。
まだまだ現役で活躍するでしょう。見習わなきゃ。
満員の客が全員で興奮し酒場全体が大いに盛り上がって雰囲気も最高ですよ。
洒落れたレストランやバルなどが並ぶ商店街をあるくと乾いた空気が頬をなで気分良い。食べて、演奏聞いたあとの散歩もおすすめです。
気楽に誰でもしかも安全安心して楽しめる。
4つ星ホテルも角にあります。
この近辺に住んでもいいな。
今回、夜のマドリッドの賑やかな商店街を十分楽しめたのは情報通でアテンドのお役目をしっかり果たしてくれた魅力満点のミセスyさんのお陰でした。トラベルコで偶然に知ってアテンドお願いした。
さあ、明日から市内の8つの美術館巡りを始めるぞ。

 東京bからマドリッッドへは時間かかっても座席に余裕のある大型機のフライト便を勧めます。ヨーロッパ各地で乗り継いだ方が結果的には疲労も少ないし、機内食も味もいいので満足感もえられる。
快適な旅はなにより身体の疲労度合が少ない手段を選ぶこと。
14時間のノンストップのフライト時間に滑走路で離陸するまでの待機時間1時間プラスは結講厳しい状況ですよ。
この直行便、個人的にはおすすめしません。

日本人の脂肪摂取量

2016/08/17
平成26年度の国民栄養調査によると:

 1960年代と2010年を比較すると1人あたりの米の消費量は年間で120kgから60kgに減少。
肉の摂取量は年間6kgから30kgと約5倍に増え、更に脂質も年間4kgから15kg(農水省調査)。1ヶ月1kg、1日、33gを摂取してる事になります。

 平成 22 年、23 年の国民健康・栄養調査 で日本人 30~49 歳の中央値は3025.8% (男性)、28.3% (女性)で、高齢者になるほど摂取する脂肪エネルギー比率は減少してます。
ちなみに、 日本人 30~49 歳の総エネルギー摂取量の中央値は、2,078 kcal(男性)、1,635 kcal(女性)という低さです

ア メ リ カ の USDA’s (CSFII、1994~1996、 1998)4によると、31~50 歳の中央値は、33.7% (男性)、32.8% (女性)で、日本人の脂肪エネル ギー比率はアメリカ人に遥かに比べ少ない事が明らかです。 

日本人の動物性脂肪摂取量は成人で1日平均30グラムです。
70才以上の高齢者では20gとなり、若い発育盛りの15才~20才が最高で35g、20~29才が31gです。

 さらにこのうち、飽和脂肪は20才から69才までの1日の平均摂取量は19から16gなんですね。30、40歳代の働き盛りでも20gは摂取してません。
 成人病の危険が始まる30才以後の日本人は動物性脂肪を1日30g以下しか摂取してません。飽和脂肪に至っては20g以下とは驚きです。世界的にみて、日本人は驚くべき低脂肪食の国民だと言う事がわかります。
 
 日本人の食生活が1945年の第2次世界大戦後欧米化したと言うのが常識化してます。
これらの数字をみて我々日本人が欧米並みの脂肪,肉類を主体とする高脂肪食,高飽和脂肪食中心の肉食民族に変わったと言えるのでしょうか。言えません。

 さらに欧米人と比較すると、日本人は70才を越えると明らかに全体の摂取カロリーも低下する傾向がみられます。
一方、欧米人はかなりの高齢になってもそのまま30代、40代の肥満型の体型を保っていませんか。

日本人は内臓脂肪が蓄積してると言われてますが、今の時代、リンゴのように突出した腹部の持主の高齢者は珍しいですね。

 70才越え、80才と年齢を重ねるごとにBodty Mass Indexの肥満比率は明らかに低下していますから。

 このBMIの肥満とする数値を国際基準に比べると、欧米が30以上を肥満、一方我が日本国では25以上と肥満の基準が5ポイントもちがうんですね。
欧米では肥満に分類されないのに日本人は肥満と認定されてる。日本人の3割が肥満と言う新聞の記事は、日本人の2割が肥満と訂正したほうが正しい。
これでは公平な国際間の肥満の比較ができるんでしょうか。
同皆さんはお考えです?
同時に脳血管障害と心大血管障害が原因の死亡率は年々低下してます。今までの疫学調査を再検討してみる必要があるようです。
栄養学の専門家はどう考えてるんでしょうか。

 また食生活の欧米化が肥満の原因とされ、心筋梗塞をはじめとする様々な粥状動脈硬化症の主たる原因と主張されている論文の根幹に関わってくるのではないでしょうか。


 

日本人のヨーロッパ人像

2016/07/18
日本人の描く一方的なヨーロッパ人像

 日本とヨーロッパは約1万年前から生活環境に差異が生まれ日本は農耕中心の炭水化物食で脂肪はゼロに近かった」、一方「ヨーロッパ」は農耕より牧畜が発達し年間に 100Kgの肉を摂取し飽和脂肪の環境にあった
 
 この文章はまさに日本人の大多数が今なお抱いている誤解に満ちたヨーロッパ観の典型です。
ヨーロッパ人のみが1万年前から現代ヨーロッパ人なみの肉食であった?
 1万年前当時、地球上に生存していた全人類はまだ狩猟採集民で食料を求めて血眼でした。 
 人類は約4万年前の後期旧石器時代になってようやく、道具使用、狩猟、言葉と抽象思考という現在の我々と同じ条件がほぼ地球上に出そろったのです。
 中新石器時代、人類は耐寒具を作り出し高緯度居住が可能となりました。
その結果、北半球の寒冷地から南アメリカ南端まで全地球上に住み着くことが可能になったのです。当然それぞれの地域特性をもった多種多様な文化圏を世界各地に生み出しました。

「ヨーロッパでの牛肉の消費量」
 ヨーロッパ人が、かって年に100キロも肉を食べていた時代があったなんて本当でしょうか。そのような事実の科学的な根拠はありません。
ヨーロッパは中世が始まった8世紀以降(もちろん古代ローマ時代も紀元前も)も飢饉は数年ごとに繰り返し発生していて(8世紀末~13世紀末は温暖期で農耕が進歩)、ことに小氷期がはじまった14世紀は相次ぐ飢饉とペストの大流行で人口が激減。その時期は肉の消費量は確かに増加(農耕人間がいなくなり、放牧以外に選択枝がなかったからです)したと言われてます。
それで年間60キログラム消費した年もあったとは言われてます。
 その後、人口が回復し農耕が軌道に乗ると肉の摂取量は以後数百年に渡って低下し19世紀初頭には僅か15キログラムまでにに落込んでしまったのです。
フランス革命は人々がパンを求めてが発生したとされています。肉なんて普段から口に入らなかったからせめてなんとかまともなパンを寄越せとなった。
 
 当時の農民像というと『彼等は粗末で貧しい生活をしている。食事は黒のライ麦パン、燕麦粥か煮たエンドウ豆。水と乳清。そうして休む間もなく朝から晩までひたすら土を耕して一日を過ごす』と英国の裕福な旅人がしるしてます。

 ヨーロッパでは大多数の農民はこのような生活を何百年にわたって送ってきたのです。ヨーロッパは中世以前も以降も常に凶作が豊作を上回り、農民は年間をとおおして豚肉のハム、 ソーセージ類すら滅多に口にできなかったのです。
ヨローパは西暦1850年ごろまで農民が国民の80%以上を占めていました。
大多数の農家では土間の中央に大きなスープ鍋を釣るし、家族全員がこの鍋で食事をしていたのです。
 少数の富裕階級の農民を除いて絶対的に多数を占める農民達は中、下層に分類され、その最下層が最大多数を占めていた社会でした。
 このように農民は19世紀初頭まで肉食とは無縁な日々を送っていたのです。
 また都市に住む市民達は(祭等に参加できる市民は選別され、都市部では厳しい階級社会を構成していた)、太陽が射し込まず、湿気に満ちた地下室での一日を送る毎日でした。そんな人々が都市人口の4割をこえていたといわれてます。
彼等は肉を食べるどころか、3度の食事に満足にありつけたどうか疑問が残ります。定収のない寡婦や下層の女達はそれはみじめな状況でした。

 ヨーロッパで酪農が本格化したのは19世紀以降ですし、
冷凍化技術が完成し大量輸送が可能となってアメリカ、オーストラリアから
大量の肉類(飽和脂肪)がヨーロッパに輸入された結果、ようやく所得の増えた一般庶民に肉食が普及したのです。
 
 ブタは4000年前から放牧と、森林での樫の実で飼育されてきました。しかしそれでも大量飼育が普及し供給が市場の要求ををみたすようになったのも19世紀に入ってからです。

現代のアメリカ人の肉の年間消費量が60キログラムなのですから、100キログラムの肉の消費なんて大変なことです。
 19世紀後半からの大量牧畜化に伴い,肉の生産量は回復し、1900年にやっと50キログラムまで回復してきたのです。
産業革命後の工業化によってヨーロッパの人々の所得水準が向上し、国民が平均して肉を食べれるようになったからです。
わずか百数十年前のことです。


ヨーロッパにすむ(コーカジアン)は数千年前から肉食人種と日本人が一方的に思い込んでいるだけなのです。

 厳しい寒冷地のヨーロッパでは小麦の植物栽培は困難で大麦やライ麦であり、ウシや豚、羊、ヤギが代替食材として古来から飼育されてきたのは当然でした。
 やせた土地で放牧されたた牛達はブリユーゲルが描く絵画にみられるように栄養不全で体重の四~5%程度しか脂肪はなく、その
脂肪は不飽和脂肪酸でした。
現代の人工飼料(穀類由来)で育った飽和脂肪に富む牛とは体型が全く違います。松坂牛を見れば一目瞭然です。松坂牛はロケットのような体型。
体重の20~25%が脂肪でその大部分が
飽和脂肪です。
 今から約150年前までヨーロッパ人の食事は飽和脂肪とは無縁であったのです。肉は市民、農民達とは無縁でした。
 中世が終結し、その後18世紀まで小氷河期とまで言われた寒冷なヨーロッパにおいて(コーカジアン)達は王族、貴族等の特権階級を除いて絶えず飢えに苦しめられていました。頻発した大飢饉と多発した農民一揆。ついにはフランス革命へと突き進んだのです。
 
 しかしながら当時もそしてそれ以降も、ごく少数の特権的階級の人々の食卓には動物性肉(牛、豚、各種鳥類、魚等)が豊富に提供されていました。
しかし、その牛や豚肉は飽和脂肪に富んだ肉ではなかった。
ヨーロッパの人々の食のシステムにおいて、穀物がやはり絶対優位の役割を果たしてきたのです。
 
 
ゴッホの有名な「馬鈴薯を食べる農民」の絵がこの事実を物語っています。19世紀の始めフランスのかなりの農民は未だこのような状態だったのです。
 またミレーの「落穂拾い」の絵画も同じです。落穂を拾い集めは農民にとって大切な仕事でした。「晩鐘」にしろ「落穂拾い」にしろ、描かれている農民達の衣類は小奇麗に見えます。
みな絵画用に修飾された野良着であって、実際の農民は貧しく粗末な自家製の麻の衣類を纏っていたのです。

ようやく18世紀後半の産業革命以降、産業技術や農耕器具の発達と世界の植民地政策により一般市民階級にも肉食が普及し、数世代後の20世紀以降、ヨーロッパ人の飢餓遺伝子は冬眠していったと考えられます。

 ヨーロッパでの原始的な農耕の始まりは約6千年前からであり、羊、ヤギを中心とした放牧の始まりは4500年前ごろとされています。同時に牛の家畜化も始まりました。牛は農耕用でした。老齢化し労働不能になった後、食用にされたのです。
 
 日本で稲作農耕が始まったのはやっと約2000前の弥生時代からといわれています。
日本国の隅隅までが水田に変わり稲穂が垂れる瑞穂の国と言われる現在私どもが見慣れた美しい田園光景が普及するのは戦国時代が終わり秀吉が全国を統一した頃です。

人類と食(饑餓遺伝子-1)

2016/07/15
 
 アジア人は一般的に、欧米人のような高度肥満でなくても糖尿病が発症する人が多い。また、インスリンの分泌量が欧米人の半分と言われている。
アジア人が糖尿病になりやすい体質を、完全に遺伝子レベルで解明される日も間近いと言われていていくつかの遺伝子も解明されている。
 200年前の19世紀に入ってやっと人類は、厳しい大自然の猛威に打ち勝ち、また動物並みの慢性的な飢餓的環境と致命的な伝染病の嵐を潜り抜けて安定的な生存が可能になった。
 暑さと寒さの相違があっても、過去数千年の地球上に住む全人類が直面した自然環境の厳しには大きな差はなかったのです。
 アフリカ大陸の楽園のような温帯のサバンナで比較的穏やかに生き延びた人類は少数派でした。

 紀元前6000年頃、新石器時代以降、人間は一段と進歩し、(ドングリ)や栗の実を集めあるいは栽培してエネルギー源を確保、保存する事に成功しました。さまざまな天候の変動の影響を切り抜けてやがて農耕を着実に発展させ安定的な穀物の収穫と、羊、牛などの飼育が可能な時代に到達しました。
げんざいのヨーロッパの原型が出来上がった9世紀初頭から12世紀末までの400年間がヨーロッパの歴史上最良に恵まれた世紀と言われてます。現在の気候に似た比較的温暖な地球環境に恵まれてこの時代、穀物生産量が飛躍的に伸び始めましたが、一粒から6粒生産という、従来の2倍量に達したのがやっと10世紀に入ってからでした。
しかしその後は小氷期と言われる寒冷な異常気象の時代が1800年前半まで500年にわたって続きます。

<ヨーロッパと北米アメリカ>在住の食生活に差異はあったか?
 中世初期から近代以前ののヨーロッパの農民達とアメリカ大陸に住むネイティブインディアンの食物は炭水化物中心で共通しています。
ヨーロッパでの主食であるコムギ、ライ麦、大麦などの生産量は年ごとに大きな変動をうけてきました。
 アメリカ大陸とヨーローーパ大陸とでは天候、地形という居住環境に大きな相違があり、獲得できた食物の質と量は違いましたが、長年にわたって飢餓に脅かされ苦難をなめた歴史を共有しているのです。

  中世ヨーロッパの農民の日常の食生活をみると、主食はごった煮のお粥スープであって、年に数回、結婚式や祭りのお祝いの席で豚肉やチーズなどを少量たべられたという1年を送ってきました。
ヨーロッパ大陸も貧しい農民達が国民の80%以上をしめていました。身分は国の社会階層では最低クラスに属していました。
 9世紀のはじめ、フランク王国が成立して現在の西欧諸国の原型が成立した頃に、いわゆる西欧風の農民像の原型が出来あがったと言われています。
領主、騎士そして村落共同体社会が出現し、農民は領主に完全に隷屬し、
多くの賦役に服する制度が定着することになりました。
 そして11、12、13世紀になると、温暖な気候に恵まれる幸運が続いて農耕技術も大進歩し農村も豊かな「中世の盛期」といわれる時代を迎え、農民の生活もかなり向上、人口も急増してヨーロッパ中世封建制が完成します。
ヨーロッパがヨーロッパらしい文化、社会、経済の原型を作り上げた世紀と言われています。
 この世紀は農業では3圃制が普及し、鉄の農機具使用で森が切り開かれ、新らしい土地の開墾と耕作技術の進化がすすんで穀物の生産量は一気に増えました。
またタンパク質に富む惣菜栽培が始まり栄養の質も向上したのです。
 13世紀はヨーロッパの主要国ではそれまで猛威を振るった大規模な飢饉は減少し、現代われわれが食べている同じ種類のぶどうや惣菜類の専門的栽培が広まった時代でもあったのです。
  しかし、このように恵まれた時代であっても生活水準が上昇したのは一部の上層農民だけで、大多数の中下流の農民達の生活にはたいした変化がなかったのです。
ひとたび天候不順や疫病が発生すればたちまち凶作へと一気に悲劇的な結果に追いこまれたのです。
 14世紀の中世後期以降近世までヨーロッパは小氷河期と言われるほどの寒冷気候に変わり、ペストの大流行そして100年戦争とヨーロッパ社会は停滞に陥り、社会は混乱し危機的状況に突き落とされました。

 大多数の貧民化した農民は生存ギリギリの日日を送らざるを得ませんでした(北米のネイティヴ住民達と大差ない食生活)。たとえば西暦1315~17年の全ヨーロッパを襲った大飢饉は悲惨そのものでした。人口減少、都市への人口流入、廃村と農産物の生産低下から小麦が肉よりはるかに高価だった時代です。
 このような状況からヨーロッパの主要な国々が立ち直るのは15世紀の末になってからです。空地となった広大な土地の農耕化が進んで穀物の生産が増大しヨーロッパ諸国の国力は回復に向かいます。
16世紀にはいって西欧では国王が各地の貴族を支配し、農民の束縛はゆるみましたが、一方東欧では貴族達の勢力は強大で各地方を完全に支配し、この状態が19世紀末まで続きます。
 当時、イギリスとオランダは、フランス、ドイツ等に比して農業先進国と言えるほど農業分野では一歩先を歩んでいました。両国とも、17世紀の初頭には初期の資本主義的 経営が出現し始め金融制度が発展し、大航海時代をへてアフリカ、アジアからの膨大な富の略奪が本格化していったからです。すなわち15世紀末から、新大陸発見やアジア各地の植民地化、貿易の世界的拡大が、西ヨーロッパ各国に 都市のさらなる発展と全人口の増大をもたらします。

 1770年から1870年の間に厳しい農民の解放と農業改革も断行されて農村も近代の姿に変貌を遂げていきます。
1800年当時、今からわずか200年前、人口の80%は未だ農民であり、抑圧された身分の中で多くのコ−カジアン系農民が一生を送っていたのです。
このヨーロッパが隆盛時代を迎える時期、ヨーロッパの困窮した農民達に救いの手が差し伸べられます。
それは新大陸アメリカへの移民と産業革命による新興工業地帯の出現です。
もっとも彼等が吸収されていった先の環境も厳しく、貧しい移民と農民はやはり低賃金と非衛生的状況下で烈しい労働に従事させられたのですが。
18世紀末からの産業革命の恩恵を受けて西ヨーローッパ全体の農業もやっと中世以来の貧弱な農業から脱皮し発展し始めました。

我々が現在思い描くヨーロッパの肉中心の料理は19世紀中旬に生まれたのです。
 他方、過酷な自然条件のもとでアメリカ大陸で数千年来生きてきた ネイティブアメリカンズは、貧しく全員がほぼ毎年のように飢餓に脅かされていた点ではコ−カジアンと同じでした。
 アメリカ大陸を発見したコロンブスが接触した地元アラワク族は平穏温厚な部族でしたが、その後コロンブスはじめ多くのヨーロッパ人によって奴隷としてヨーロッパへ移送され、大多数はその地で死亡するという悲惨な運命をたどりました。その後鉄砲と伝染病という圧倒的な力に負け北米インディアン部族の数は激減してしまったのです。コロンブス以前の南北アメリカ大陸には7500万人のネイティヴアメリカンが(狩りと採集そして農耕の民族)独自の生活文化を営んでいたのです。


ここまでの纏め:
1. 氷河時代から飢餓のくり返しにより饑餓遺伝子を獲得したのは地球上の全人 類に共通
2. コーカジアンも飢餓に苦しんだ長い歴史を有するが、饑餓遺伝子研究の対象外であったのはヨーロッパ考古学会の主流に今もなお人種差別的な考えが存在するため。 
3. 21世紀にはいり、コーカジアンに糖尿病患者が急増してきた原因は何か。今後の重要課題でる。

<最終氷河期以降の人類史>
 10数万年前アフリカに生まれた現代人型のホモサピエンス。
6~3万年前の温暖期にネアンデルタール人を含む古代型サピエンスは絶滅した。3~4万年前以降は現代型ホモサピエンスが唯一の種として現在の全地球上に分布。
 3万数千年前の最終氷河期中、1万8千年前が極寒期であり海面は現在より140メートル以上低く、べーリング海峡はアメリカ大陸と陸続きとなった。
地球は氷河期にあっては、高緯度地帯は氷河に分厚く覆われ、ヨーロッパは人間居住には不適な環境となり、一方、アフリカは気温の低下と降水量の増加で砂漠は草原に、小動物類は大いに繁殖した。
地球の厳しい気候変動は生物の増減を左右し、人類の遠距離移動をコントロールした。
 この寒冷期が終る1万3千年前頃から地球は次第に温暖化し、海面は上昇し、
ツンドラやステップの森林地帯への変化、灌木と草原の緑の地球が出現した。
氷河は大きく後退しマンモス類の大型動物は北上し、やがて絶滅した。
紀元前9000~8300年のヤンガードリアス期寒期により、地球上の植物の生態系と人類の生活は多大な被害を受けた。
しかし8300から6200年前までは比較的降雨と気温上昇に恵まれ、5500~3000年前、地球は最良の温暖期に変わり、人類はこの時代に生活レベルを著しく向上させ、余裕ある生活を送った。 
 5万年前から続いた後期旧石器時代が1万年前に完結し、続いて中石器時代に、そして新石器時代は青銅器時代と重なり紀元前1000年頃に鉄器時代に突入し現代社会へ移行する原型が成立した。
 

老化と性本能

2016/07/02
  満95才の瀬戸内寂聴さんの脳細胞は20歳代と変わらぬエネルギーを産生し続けているようです。
しかしこれは寂聴先生にのみ特殊な能力ではなく生理学的には人間はこの年齢でも同じ能力を有してる事の証明ですね。
 個人ごとに先天的な細胞機能には格段の差があります。
 中年期に脳梗塞などで血流量が低下すれば、はかり知れない影響を脳細胞は慢性的に受けます。このような突然のイベントによる器質的な変化でなく年齢を重ねた老化過程の血管の障害程度は環境により大きな変化を受けます。
一方、アルツハイマー型の脳機能障害の存在が多くの人々を悲劇に追いやってる現実はご承知のとうりです。
 寂聴さんが人間として最も優れた脳細胞の持主の一人である事に間違いありませんが、それにしても90代の現役作家として30代の爛熟した大人の恋愛,官能小説を書き上げる脳力には驚かされます。まあ男性ホルモンの影響もあるでしょう。
 広く芸術分野を眺め渡すと100才を越えてもその才能を発揮し続けている方は珍しくありません。一つの事に打ち込む事が脳細胞を常に活発に刺激し続けるからです。
 寂聴さんの脳幹内に存在する性中枢の神経細胞と少量の男性ホルモンと同時に女性ホルモン分泌刺激ホルモンは24時間休まず働いてるのではと推測できます。小説を書く作業はこのような実質的な物質の力を借りなくても大脳皮質の細胞がホルモン枯渇をしっかりと代行していると考えられます。
人間と言う生物は死の直前まで性欲を失わない生物なのです。
 日常さりげなく普通の生活をおくっている超高齢者の脳細胞から、男,女を意識する信号が活発に発せられている事に思いいたしましょう。

 この性本能を生み出す脳細胞は環境因子の積み重ねを受けて変化し、個人ごとに大きな差異が見られます。社会生活を基盤に生きる人間である以上これは避ける事の出来ない現象です。

 寂聴さんのご活躍を見てると性本能の保存と維持が肉体的老化自体をも予防しているのが良く理解できます。

 おおよそ40年前、作家立花 隆氏の著書『アメリカ性革命」と言う本を読みました。読んだ内容はおおかた忘れてしまいましたが以下の内容は未だによく覚えています。

『アメリカの田舎町に住む老夫婦の話である。既に夫婦とも80才を過ぎていた。その老夫婦は毎晩ワイオミングの大草原の草叢に寝転び、満点の夜空、そこに輝く無数の星屑を眺めて毎度交わりをかわすと。そしてそうした行為のあと、何時召されてもいい、今、大変幸せであると天の神に感謝の気持ちを捧げている』
 
なかなかに含蓄に満ちた文章ではありませんか。
人間は幾つになっても異性を求める願いあるいは欲望すら確実に存在してると結論ずけてもいいようです。



 

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