田中角栄氏と山口淑子氏in北浦和公園

2020/11/12

「政治家と美女」、県立北浦和公園

まえおき:

世界は新型コロナ感染のパンデミックの最中にある。

 2020年11月19日現在、東京も500名を超える新規感染者で、10月中旬以降ほぼ毎日100名以上の新規感染が発生している。
11月に入って晴天がつずいているので我が家の前に展開する県立北浦和公園が発する大勢の子供たちの叫び声が週末になると賑やかである。今の時代とても貴重な歓声である。
 1年前には全く想像もできなかった賑いで、紅葉の始まった豊かな緑の木々の太い幹の隙間も、噴水のある池の周辺は仲良し親子連であふれている。
土、日ともなればはそれこそ朝から子供たちで公園は満ち満ちている。
 最近は平日の午後もまた同様の混雑である。
コロナで近場で余暇を過ごす家族連れが一気に増えたせいだ。
北浦和駅西口から徒歩3分の好立地だ。
ここ2、3年でJR北浦和駅の周辺は西口も東口もマンションが林立した。
「駅近」が東京郊外のマンションの第一条件になったせいである。
名門常盤小、中学校の学区内でもあり、子育てと教育の環境は申し分ない。
生活する条件は全部揃っている。

 苦節50年、県立北浦和公園もやっと市民権を獲得して大勢の市民に親しまれ愛される公園へと成熟してきた。もっとも、この間、県知事さんも市長さんもそのお姿は拝見した事はない。10年に一度くらいは庁舎から足を伸ばし、周囲の住民達にも一声かけて公園の新鮮な空気を胸いっぱい吸い込んでもらいたいと私は呟くのである。

ほんだい

 全盛時代の田中角栄元総理が参議院全国区立候補者の山口淑子(女優当時の旧芸名李香蘭)氏を引き連れここ北浦和公園にやってきた日の思い出。

 公園北側に残る一段高い土盛、その後に淡い黄色のコンクリートの塀が残っている。長さ10メートル余、高さ2メートル弱。この塀を背に角榮元総理と山口立候補者が選挙演説をしたのである。
 しかし地元でも現在はその事を覚えている人はごくごく少数だ。
町内会の世話人で人集めに尽力していた人達は皆さんすでにこの世に居ない。私から初めてそんな話を聞いたという人ばかりになった。
私はその生き残りの証人の1人なのである。
季節は確か初夏。
 角栄氏と山口氏の2人は並んで人々の前に立った。
角榮元総理の独特の力強いダミ声がマイクをとうして公園いっぱいに広がっていった。当時、園内の木々は細く丈も低く枝枝の葉も疎だった。二人の姿は遠くからでもよく見えていた筈だ。
私はかなり接近した正面に近い場所に立っていた。
野次馬根性もあってお2人をしっかりこの眼で見たいと思ったからである。
 当時の角栄氏はテレビで見ても全身エネルギーに満ち満ちていた。
ましてや生の姿からは予想以上の迫力を感じた。
演説の最初から力強いダミ声が木々の間を通り抜け澄み切った青空へと溶けていった。内容はすっかり忘れたが。
しかしずしりとした声量と派手なアクションも加わって発散するエネルギーは私どもにもろに伝わってきた。わたしも周囲の聴衆も角榮氏が全身から発するオーラに吸い込まれてしまった。
 さすが天下一品のパフォーマンスで聴く人の心をしっかり掴んだな。
みんな真剣に聞きいていたな。
以来、私は角榮元総理のファンなのである。
 そんな私は同時にもうひとつの現象に気がついた。
当日の女主人公、参議院議員立候補者本人の山口淑子さんその人である。
彼女がどんな挨拶をしたかは記憶にない。
覚えているのは彼女のきりりとした容姿だ。
 年齢を感じさせないその美貌は予想とうりで特に驚かなかった。
しかし彼女が持っていたオーラ、全身を包む品位に満ちた雰囲気に驚いた。
 そしてお隣で角榮氏が応援演舌をぶっている間彼女は直立不動だった。
私はそのことに演説の途中から気がついた。

 山口さんは角榮氏の最後の言葉が終わるまで微かな身動き、文字等り微動だにしなかった。わたしは山口さんがいつ身動きするかとひたすら見つめていた。
 演説が終わった時、私は彼女に秘められた人間の持つ言葉にあらわせない強靭さを感じた。肉体だけでなく心身全体をコントロールする精神的芯の強さを。
 その印象が今も強く心の底に張り付いている。

 美貌、容姿、知性そして品格と複数の条件に恵まれた山口氏。
しかし政治家としては今一歩だったかな。
卓越した政治力の持主の角榮氏に見出され弟子入りしたのだから、彼の積極性、政治家としてのパワフルな生き方を体得して活動してもらいたかったけど。
がそれはそれ。
 わたしは折りに触れあの日を思い出し、山口氏をお手本にしたいと願いつつ歳を重ねた。残念ながら一つも実現はしなかったけど。
 今は私の毎日の習慣になっている北浦和公園の散歩。
なんの変哲も無く建つ無愛想な白い壁塀の前に立ち止まり40年前の角栄元総理と山口淑子元参議院議員お二人の調和のとれた豪と柔の姿を思い浮かべるのも私だけの懐かしく楽しい秘密である。