日本人のヨーロッパ人像

2016/07/18

日本人の描く一方的なヨーロッパ人像

 日本とヨーロッパは約1万年前から生活環境に差異が生まれ日本は農耕中心の炭水化物食で脂肪はゼロに近かった」、一方「ヨーロッパ」は農耕より牧畜が発達し年間に 100Kgの肉を摂取し飽和脂肪の環境にあった
 
 この文章はまさに日本人の大多数が今なお抱いている誤解に満ちたヨーロッパ観の典型です。
ヨーロッパ人のみが1万年前から現代ヨーロッパ人なみの肉食であった?
 1万年前当時、地球上に生存していた全人類はまだ狩猟採集民で食料を求めて血眼でした。 
 人類は約4万年前の後期旧石器時代になってようやく、道具使用、狩猟、言葉と抽象思考という現在の我々と同じ条件がほぼ地球上に出そろったのです。
 中新石器時代、人類は耐寒具を作り出し高緯度居住が可能となりました。
その結果、北半球の寒冷地から南アメリカ南端まで全地球上に住み着くことが可能になったのです。当然それぞれの地域特性をもった多種多様な文化圏を世界各地に生み出しました。

「ヨーロッパでの牛肉の消費量」
 ヨーロッパ人が、かって年に100キロも肉を食べていた時代があったなんて本当でしょうか。そのような事実の科学的な根拠はありません。
ヨーロッパは中世が始まった8世紀以降(もちろん古代ローマ時代も紀元前も)も飢饉は数年ごとに繰り返し発生していて(8世紀末~13世紀末は温暖期で農耕が進歩)、ことに小氷期がはじまった14世紀は相次ぐ飢饉とペストの大流行で人口が激減。その時期は肉の消費量は確かに増加(農耕人間がいなくなり、放牧以外に選択枝がなかったからです)したと言われてます。
それで年間60キログラム消費した年もあったとは言われてます。
 その後、人口が回復し農耕が軌道に乗ると肉の摂取量は以後数百年に渡って低下し19世紀初頭には僅か15キログラムまでにに落込んでしまったのです。
フランス革命は人々がパンを求めてが発生したとされています。肉なんて普段から口に入らなかったからせめてなんとかまともなパンを寄越せとなった。
 
 当時の農民像というと『彼等は粗末で貧しい生活をしている。食事は黒のライ麦パン、燕麦粥か煮たエンドウ豆。水と乳清。そうして休む間もなく朝から晩までひたすら土を耕して一日を過ごす』と英国の裕福な旅人がしるしてます。

 ヨーロッパでは大多数の農民はこのような生活を何百年にわたって送ってきたのです。ヨーロッパは中世以前も以降も常に凶作が豊作を上回り、農民は年間をとおおして豚肉のハム、 ソーセージ類すら滅多に口にできなかったのです。
ヨローパは西暦1850年ごろまで農民が国民の80%以上を占めていました。
大多数の農家では土間の中央に大きなスープ鍋を釣るし、家族全員がこの鍋で食事をしていたのです。
 少数の富裕階級の農民を除いて絶対的に多数を占める農民達は中、下層に分類され、その最下層が最大多数を占めていた社会でした。
 このように農民は19世紀初頭まで肉食とは無縁な日々を送っていたのです。
 また都市に住む市民達は(祭等に参加できる市民は選別され、都市部では厳しい階級社会を構成していた)、太陽が射し込まず、湿気に満ちた地下室での一日を送る毎日でした。そんな人々が都市人口の4割をこえていたといわれてます。
彼等は肉を食べるどころか、3度の食事に満足にありつけたどうか疑問が残ります。定収のない寡婦や下層の女達はそれはみじめな状況でした。

 ヨーロッパで酪農が本格化したのは19世紀以降ですし、
冷凍化技術が完成し大量輸送が可能となってアメリカ、オーストラリアから
大量の肉類(飽和脂肪)がヨーロッパに輸入された結果、ようやく所得の増えた一般庶民に肉食が普及したのです。
 
 ブタは4000年前から放牧と、森林での樫の実で飼育されてきました。しかしそれでも大量飼育が普及し供給が市場の要求ををみたすようになったのも19世紀に入ってからです。

現代のアメリカ人の肉の年間消費量が60キログラムなのですから、100キログラムの肉の消費なんて大変なことです。
 19世紀後半からの大量牧畜化に伴い,肉の生産量は回復し、1900年にやっと50キログラムまで回復してきたのです。
産業革命後の工業化によってヨーロッパの人々の所得水準が向上し、国民が平均して肉を食べれるようになったからです。
わずか百数十年前のことです。


ヨーロッパにすむ(コーカジアン)は数千年前から肉食人種と日本人が一方的に思い込んでいるだけなのです。

 厳しい寒冷地のヨーロッパでは小麦の植物栽培は困難で大麦やライ麦であり、ウシや豚、羊、ヤギが代替食材として古来から飼育されてきたのは当然でした。
 やせた土地で放牧されたた牛達はブリユーゲルが描く絵画にみられるように栄養不全で体重の四~5%程度しか脂肪はなく、その
脂肪は不飽和脂肪酸でした。
現代の人工飼料(穀類由来)で育った飽和脂肪に富む牛とは体型が全く違います。松坂牛を見れば一目瞭然です。松坂牛はロケットのような体型。
体重の20~25%が脂肪でその大部分が
飽和脂肪です。
 今から約150年前までヨーロッパ人の食事は飽和脂肪とは無縁であったのです。肉は市民、農民達とは無縁でした。
 中世が終結し、その後18世紀まで小氷河期とまで言われた寒冷なヨーロッパにおいて(コーカジアン)達は王族、貴族等の特権階級を除いて絶えず飢えに苦しめられていました。頻発した大飢饉と多発した農民一揆。ついにはフランス革命へと突き進んだのです。
 
 しかしながら当時もそしてそれ以降も、ごく少数の特権的階級の人々の食卓には動物性肉(牛、豚、各種鳥類、魚等)が豊富に提供されていました。
しかし、その牛や豚肉は飽和脂肪に富んだ肉ではなかった。
ヨーロッパの人々の食のシステムにおいて、穀物がやはり絶対優位の役割を果たしてきたのです。
 
 
ゴッホの有名な「馬鈴薯を食べる農民」の絵がこの事実を物語っています。19世紀の始めフランスのかなりの農民は未だこのような状態だったのです。
 またミレーの「落穂拾い」の絵画も同じです。落穂を拾い集めは農民にとって大切な仕事でした。「晩鐘」にしろ「落穂拾い」にしろ、描かれている農民達の衣類は小奇麗に見えます。
みな絵画用に修飾された野良着であって、実際の農民は貧しく粗末な自家製の麻の衣類を纏っていたのです。

ようやく18世紀後半の産業革命以降、産業技術や農耕器具の発達と世界の植民地政策により一般市民階級にも肉食が普及し、数世代後の20世紀以降、ヨーロッパ人の飢餓遺伝子は冬眠していったと考えられます。

 ヨーロッパでの原始的な農耕の始まりは約6千年前からであり、羊、ヤギを中心とした放牧の始まりは4500年前ごろとされています。同時に牛の家畜化も始まりました。牛は農耕用でした。老齢化し労働不能になった後、食用にされたのです。
 
 日本で稲作農耕が始まったのはやっと約2000前の弥生時代からといわれています。
日本国の隅隅までが水田に変わり稲穂が垂れる瑞穂の国と言われる現在私どもが見慣れた美しい田園光景が普及するのは戦国時代が終わり秀吉が全国を統一した頃です。