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美食とは---定義の混乱

2014/11/13
 
 

美食とはーーーー定義の混乱

1, 美食の歴史(創元社「知の再発見」双書56)絵で読む世界文化史)
2. 和辻哲郎「イタリア古寺巡礼」

池上俊一先生の「美食の歴史」の序文から(適宜抜粋)
人間の生命倫理においてもっとも根源的に救いがたい食という行為....他の生命体に死をもたらすことによってのみ生命を維持する....を、もっとも麗しく希求すべき行為に昇華させる複雑な文化的装置であり、芸術ではないのに、芸術すれすれの高みにまで飛翔した技術であって、社会全体の熱意によって支え続けなければ瓦解してしまうの」
判ったようで判らないとはこのような文章の事を言うんでしょう。
 
3万年前に登場したホモサピエンスは当然ながら狩猟採集民で、氷河時代とその後の気候変動期を通じて野性の大型動物を殺して生き延びてきた。そのDNAを受けつぐ現代人類、とりわけ大量殺傷兵器を同類の仲間に使用するコーカジアン人種が食料としての動物を殺すのに躊躇し感傷に陥ったでしょうか?

腕のいい料理人がいたり、豪華料理をしょちゅう食べられる金持ちが多く産まれたり、美食家が脂ぎッた顔で食の蘊蓄を競いあっていても、そこには決して『美食文化』がある事にならない
美食文化の定義ですね。

 「--フランス人の日常食が特に美味しいわけでも凝っている訳でもないのは、だれでも知っている。フランス人の食についての知識が豊富であったり、彼等が鋭い味覚を持っている、というのはまったくの嘘だというのがーーーー極端にいえば、世界中が『フランス美食神話』によって誑かされている」
ふうむ、フランス人は世界を誑かしてきた
『フランス料理というものはルイ王朝以来、国王と宮廷が豪華料理を追求し洗練され、臣下もそれをみならい、都(パリ)の料理として完成されたもの』
あれ、そういうのは美食文化ではないと定義されましたが。

 「フランス料理の美食化に決定的な役目を果たしたのはあらゆるジャンルでの文化と多くの学者、画家、小説家などが、ことに19世紀以降は彼等の作品を通じて世界に喧伝された総合芸術としての美食が誕生」し、『世界中にひろまったフランス料理、イコール美食の代名詞はあらゆるジャンルのフランス文化の結果である」このように「美食文化」を築くとは、社会全体が一丸となって行う大事業である』
え?そうですか?
何世紀も市民が食べ続けてきたフランス料理は美食とは無関係でしたから、社会全体の大事業ではなくて国家的詐欺行為だったのでは?まさか。

『この総合芸術としての美食文化は17世紀のルイ14世、太陽王時代であり、かの有名なベルサイユ宮殿での連日の宴会で完成した。その後今日まで、いくら社会体制が変わろうと国家意志として継続されてきたーーー』
繰り返しますが、そう言う豪華な宴会は美食文化ではない筈。

<まとめ>
 中世からこのかたフランス料理は美食ではなかったんですよね。
15世紀始めから19世紀始めまで、ヨーロッパは小氷期と呼ばる寒い悪天候が続いた時代であり、ことに17世紀は、気温の低い天候不順な時代である。
そのような太陽に十分恵まれなかった土地で飼育された動物や野菜類、果物が美味であったとは考え難い。
多種類でボリュームだけはたっぷりの食材の羅列ではあったが、食材の質と味付けは美味とは言えなかった。
雉や白鳥までもテーブルに並べた時代もあったんですから。
 やっと天候も落ち着き、世の中が豊かになってきた19世紀以降、金回りがよくなった文豪たちがフランス料理こそ総合芸術としての美食であると世間に喧伝しまくったその結果、料理の知識も乏しく、味覚も鈍いフランス国民もフランス料理を美食だと思いこみ、世界を誑かしてきた。
これがフランス料理が美食として世界に流布し,世界遺産とされた歴史的事実。

ゴッホ「馬鈴薯を食べる農夫達」ミレー「落穂拾い』の絵画にみるように、19世紀前半まで国民の80%を占めた農民の大多数は当然ながら美食とは無縁な食事をしていたので、とても芸術すれすれまでの高みの技術とは縁がなかたし、国家意思にかかわらずフランス国民は美食とは縁が薄かったのです。

 フランス革命以後、宮廷で職を失なった料理人が生き残りをかけて必死に高級料理を作りレストランをパリ市内に開業し、その料理を富豪達と豊かになった市民ブルジョア階級が楽しみその歴史が美食文化を作り上げてきた。
時代は変われど富裕層や上流階級の人々によってのみ美食文化は守られ、大多数の国民はフランス料理は旨いとは思っていない。


 20世紀後半以降はテレビがフランス料理イコール美食のイメージ作りの最大の功労者。
コンピュウーターが料理の鉄人にかわって美食文化の主役に躍り出た。
外食産業の大企業がフランス料理をベルトコンベア式に大量生産し、宅配で各家庭に届ける。国家意思によらず一人ひとりの国民の意志で料理が選択され、ほんとうの美食文化が広く世界に定着してくるのです。


糖尿病で悩む患者さん達は様々な苦悩を抱えて生活しています。病気もなおしたい、けれどまず好きなものを満腹するまでたべたい。毎日がジレンマとストレスとの戦いです。
腹が減っては戦はできぬ』
頑張る、どうやって。
人間にとって食べることはセックスの原動力であり人生の最大の楽しみ です。
糖尿病の患者さんも豊かな食生活を自由にエンジョイ出来る日が早く来る事を期待したいですね。



<ビーナス像>と美食
和辻哲郎先生の美女観察と美食の関係:

和辻哲郎先生が昭和2年、1928年にヨーロッパ留学中、ナポリの国立民族博物館でシヌエッサのアフロディテイー像(ビーナス像)を見て感激し、敷衍してギリシャ彫刻の芸術論を書かれています。
現在はパエスツムに新装開館している古代博物館で見られる?下のビーナス像。

イタリア古寺巡礼」は現在まで20数版以上も再販されているベストセラーですのでお読みになった方も多いと思います。ヨーロッパ旅行記で80年後の現在に至るまで,この旅行記を超える深みのあるものは少ない。
 先生はこのとき立ち寄られたジェノバ市内を散策して古いジェノバの中心街に並び立つ歴史的建造物を見て
ヨーロッパを代表するもっともヨーロッパらしい町並みであると高く評価しているのは慧眼ですね。
世界遺産に指定される50年以上も前のことですから。


シヌエッサのビーナス像

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ナポリ国立民族博物館で以前見た像とは少し印象が違うように思えるけど、はっきりとはしない。色も真っ白だし。

ナポリに行ったら是非このシヌエッサのビーナス像鑑賞してきて欲しい。
 世界最高といわれているルーブル美術館のミロのビーナス像やその他各地の美術館に収まっている数々の美しいビーナス像のなかで、とりわけ先生はこのシヌエッサのビーナス像こそが最高であり,神品であるとまでおっしゃってます。
 
先生は
古代の地母神を彷彿とさせる肉体の逞しさに魂をうばわれてしまわれたようです。
作品の持つ芸術性はもちろんですが、彫刻自体の肉体美そのものに強く心を奪われた。
現代、私たちは女性の美しい裸体を日常生活のなかで見慣れています。
オリンピクでの素晴らしい女性美の極致といえる肉体の躍動美はその代表といえます。

和辻先生が活躍された大正から昭和初期の日本では雄渾と形容される裸体の女性を容易には目にできなかった。
当時の若い日本女性の平均身長は140センチそこそこ、平板な胸と細い腰回り、ほっそりと優美な体型が主であった。
着物に包まれた外見の美しい優しさにあふれた女性達。
先生はこのナポリの美術館で日本人女性の肉体とは対照的な豊かな立体的な肉体美に初めて接したのである。
雄渾で逞しい女性のヌード像は明治生まれの和辻先生にとってエイリアンとの遭遇ほどのショック?
その驚きが賛美と共鳴してこのシヌエッサのビーナス像をミロのビーナス以上に評価されたのでは?

しかしヨーロッパではこの像はローマ時代の模作とされ評価は低いようです。
ヨーロッパ人にとってこのシヌエッサのビーナス像の造形はごく見慣れたものであり、
優美さに欠けた雄渾な姿にヨーロッパの男性は魅力を感じないからです。
ヨーロッパの男にとって理想の美女とはミロのビーナス像のごとき優美な女性像ですから。
現代の標準的な女性モデルは背が高く、腹部は平坦でスリム、均整のとれた小さめの臀部の持ち主である。

シヌエッサのビーナス像は現代のモデルとしても失格である。

豊満な肉体の持ち主の菩薩像を始め古代仏像文化に精通していた先生をこれほど感激させた真相は単なる
肉体的造形美ではないかもしれない。ご本人以外には窺い知れないが。


洋の東西をとわず、人類の文化が勃興し隆盛を誇るようになった時が美食文化の始まり。
どのような豊かな食生活を送ってギリシャ人はこのように見事な肉体を作り上げたのか。
彼らの肉体が貧弱で短小な足の持ち主だった訳ではあるまい。
壷絵に書かれた美女達は当時の現実の女性のスタイルを写していると考えてよいのだろう。

当時の遺伝子を構成するDNAが引続いて現代まで途切れることなく作用している。

富な魚介類、たわわに実った果実類そして野生の動物の肉にめぐまれ、
長い美食社会が古代地中海文明の基礎を築いて見事な人間の造形美を作り上げてきたと断言していいであろう。

美食こそ芸術である?

彼らとその子孫たちは生きるため,旨いものを食うために野生の大型哺乳類動物を殺すのに特別な感傷なぞ持ち合わせていない。
食うために存在する獲物は目の前に豊富にあった。
美食のなかに、強靭な肉体が完成し、その肉体を映す美術も産まれた