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2019年、2018年、2017年、2016年

2016/01/10

2019年(平成31年)3月。
 今年もあっという間に3月も中旬。
箱根往復大学駅伝のランナー達を沿道の脇で見送ったのも遠い昔の出来事だ。
2019年、平成最後の年。
昭和と平成の時代を生きて83年。

そして今を意識してるこの瞬間がまだ続いてる人生。
人生の成功も満開の桜も散って仕舞えば誰も見向きしない。


2018年(平成30年)
 今は6月、梅雨である。今年は地震が頻発している。
6月17日の日曜日は正午ごろ前橋市を中心に群馬県で震度5が。
そして今日18日の午前8時前に大阪市北部を中心に震度6の地震に見舞われ、新幹線も午後5時ごろには正常に戻った。
一方、モスクワ市ではワールドカップが始まって世界中が興奮し、NHKのゴールデンタイムも連日サッカー日本代表を詳細に報道している。
 日本はいつまた震度7以上の巨大地震に見舞われる危険性の中にいるのにだ。

先月の5月で一人暮らしも満4年が過ぎた。まさに光陰矢のごとしがピッタシ。
気楽な一人暮らしに順応してきた。表向きは同情的な周囲の目も無関心になっている。去る者は日々に疎し。

2017年はトリ年。(平成29年正月)

もう3月12日。
1年前に申年の夢を書いて以来420日以上が過ぎ去った。

100才を越えても心身ともに大きな変化をうけずに元気で生活を続けている人が増えた。人類の確かな進歩の証だ。

 2017年の正月は東京湾を真正面に望むインターコンチネンタル東京ベイホテルで迎えた。
海は鏡のような淡いブルー。
白黄金色に輝きを漂わせる青い波に差し込む放射状の光の帯。
初日の出だ。
白光の太陽がゆっくりと上昇していく。

そしてあッと言う間に太陽は膨張し黄金の丸い球体に変化した。
岸壁に立ち並ぶ屋根の上を上昇していくのを見ると新しい年が始まったのだと実感する。


(猿)年の初夢    平成28年元旦        

今年は申年。

猿年と書いたほうが今の自分にあっている。

何しろ一日中、朝起きてから寝るまで高崎山の猿さながらに動き回っているからだ。彼らは群れをなしてるけど、こっちは一人だ。


猿年は去る年でもある。

長年連れ添った家内が亡くなって1年8ヶ月。思い出は当分消えることはないだろう。心の底の休火山はときに噴煙をあげる。

2016年の正月3ケ日は東京タワーに近いホテルの高層階ですごした。

海の見える部屋ではなく東京タワーに向き合っていた。

 

 33階のレストランからはま近かに東京湾とレインボウブリッジの優雅な姿が見える。外は最新の超高層ビルが林立してる。
立体化したパノラマ的眺望の東京の街もなかなかの景観に変わりつつある。

 アメリカ製のTVドラマではニューヨークを舞台としたストーリーが多い。超高層ビルの一つ一つの俯瞰影像が眼前に現れては消えていく。
この迫力にならぶ都市はない。

 東京の都心もまだニューヨークには距離をあけられている。

この世界一のバックグラウンドこそ、TVドラマに真実みを付加し、人々を引きつける力だ。

しかし、あなたも、バーチャルなTVの世界より遥かにリアリティーな世界を身じかに体感できる。

ここ東京都心の高層ホテルで。

 窓から突き出たテラスに出てライトアツプされ光輝く夜空に伸びる東京タワーを見上げよう。
心ひかれる美女をぎゅっと抱きしめたまま熱い唇を重ねる時だ。
アドレナリンは体内を駆けぬけ、脳細胞は
βエンドルフィンで満たされる。

女の硬直した舌をしっかり絡めとる。
唾液が溢れ、そのままお互いの口腔深くに流し込む。

二つの唇はいつまでも離れない。
夜の闇の中に東京タワーの黄金の光を背景に時は止まり二人の身体は一つに溶け合って動かない。


 絶対的な孤独と向き合いながら苦しさと癒しの時間を生き続けて来たあなたの心はこの瞬間至福に満ちている。そして輝く星くずたちをちりばめた天空に吸い込まれていく。
こんな新年の夢はどう?


現実の世界に生き続ける宿命を背負った私たちは過ぎ去ったものをいつまでも追い求め続けられない。

人間として生物として我々は生命への執着と欲望から逃れられないから。 
そして求めるのはあくなき未知の明日だ。

 

田中角栄氏と山口淑子氏in北浦和公園

2020/11/12

「政治家と美女」、県立北浦和公園

まえおき:

世界は新型コロナ感染のパンデミックの最中にある。

 2020年11月19日現在、東京も500名を超える新規感染者で、10月中旬以降ほぼ毎日100名以上の新規感染が発生している。
11月に入って晴天がつずいているので我が家の前に展開する県立北浦和公園が発する大勢の子供たちの叫び声が週末になると賑やかである。今の時代とても貴重な歓声である。
 1年前には全く想像もできなかった賑いで、紅葉の始まった豊かな緑の木々の太い幹の隙間も、噴水のある池の周辺は仲良し親子連であふれている。
土、日ともなればはそれこそ朝から子供たちで公園は満ち満ちている。
 最近は平日の午後もまた同様の混雑である。
コロナで近場で余暇を過ごす家族連れが一気に増えたせいだ。
北浦和駅西口から徒歩3分の好立地だ。
ここ2、3年でJR北浦和駅の周辺は西口も東口もマンションが林立した。
「駅近」が東京郊外のマンションの第一条件になったせいである。
名門常盤小、中学校の学区内でもあり、子育てと教育の環境は申し分ない。
生活する条件は全部揃っている。

 苦節50年、県立北浦和公園もやっと市民権を獲得して大勢の市民に親しまれ愛される公園へと成熟してきた。もっとも、この間、県知事さんも市長さんもそのお姿は拝見した事はない。10年に一度くらいは庁舎から足を伸ばし、周囲の住民達にも一声かけて公園の新鮮な空気を胸いっぱい吸い込んでもらいたいと私は呟くのである。

ほんだい

 全盛時代の田中角栄元総理が参議院全国区立候補者の山口淑子(女優当時の旧芸名李香蘭)氏を引き連れここ北浦和公園にやってきた日の思い出。

 公園北側に残る一段高い土盛、その後に淡い黄色のコンクリートの塀が残っている。長さ10メートル余、高さ2メートル弱。この塀を背に角榮元総理と山口立候補者が選挙演説をしたのである。
 しかし地元でも現在はその事を覚えている人はごくごく少数だ。
町内会の世話人で人集めに尽力していた人達は皆さんすでにこの世に居ない。私から初めてそんな話を聞いたという人ばかりになった。
私はその生き残りの証人の1人なのである。
季節は確か初夏。
 角栄氏と山口氏の2人は並んで人々の前に立った。
角榮元総理の独特の力強いダミ声がマイクをとうして公園いっぱいに広がっていった。当時、園内の木々は細く丈も低く枝枝の葉も疎だった。二人の姿は遠くからでもよく見えていた筈だ。
私はかなり接近した正面に近い場所に立っていた。
野次馬根性もあってお2人をしっかりこの眼で見たいと思ったからである。
 当時の角栄氏はテレビで見ても全身エネルギーに満ち満ちていた。
ましてや生の姿からは予想以上の迫力を感じた。
演説の最初から力強いダミ声が木々の間を通り抜け澄み切った青空へと溶けていった。内容はすっかり忘れたが。
しかしずしりとした声量と派手なアクションも加わって発散するエネルギーは私どもにもろに伝わってきた。わたしも周囲の聴衆も角榮氏が全身から発するオーラに吸い込まれてしまった。
 さすが天下一品のパフォーマンスで聴く人の心をしっかり掴んだな。
みんな真剣に聞きいていたな。
以来、私は角榮元総理のファンなのである。
 そんな私は同時にもうひとつの現象に気がついた。
当日の女主人公、参議院議員立候補者本人の山口淑子さんその人である。
彼女がどんな挨拶をしたかは記憶にない。
覚えているのは彼女のきりりとした容姿だ。
 年齢を感じさせないその美貌は予想とうりで特に驚かなかった。
しかし彼女が持っていたオーラ、全身を包む品位に満ちた雰囲気に驚いた。
 そしてお隣で角榮氏が応援演舌をぶっている間彼女は直立不動だった。
私はそのことに演説の途中から気がついた。

 山口さんは角榮氏の最後の言葉が終わるまで微かな身動き、文字等り微動だにしなかった。わたしは山口さんがいつ身動きするかとひたすら見つめていた。
 演説が終わった時、私は彼女に秘められた人間の持つ言葉にあらわせない強靭さを感じた。肉体だけでなく心身全体をコントロールする精神的芯の強さを。
 その印象が今も強く心の底に張り付いている。

 美貌、容姿、知性そして品格と複数の条件に恵まれた山口氏。
しかし政治家としては今一歩だったかな。
卓越した政治力の持主の角榮氏に見出され弟子入りしたのだから、彼の積極性、政治家としてのパワフルな生き方を体得して活動してもらいたかったけど。
がそれはそれ。
 わたしは折りに触れあの日を思い出し、山口氏をお手本にしたいと願いつつ歳を重ねた。残念ながら一つも実現はしなかったけど。
 今は私の毎日の習慣になっている北浦和公園の散歩。
なんの変哲も無く建つ無愛想な白い壁塀の前に立ち止まり40年前の角栄元総理と山口淑子元参議院議員お二人の調和のとれた豪と柔の姿を思い浮かべるのも私だけの懐かしく楽しい秘密である。

こんなモスクワ旅行

2019/05/07
 モスクワ 

 今年の5月1日、成田空港でパスポートに令和元年初日の日時スタンプが押されて満足。日本航空421便でモスクワ へ。
モスクワ市ドモジェドべ空港へは約10時間。午後3時に定時到着。
成田出発のスタート時の1時間の遅れを取り戻した。
機内食の和食はなかなかの味付けでまずはやる旅心も満足。
 空港での入国審査には時間がかかる。写真と実物を念には念を入れて確認しているのだろう。
 
 モスクワ大学に留学中のロコさんにガイドを頼んでいたので空港ロビーで初顔合わせ。モデル並みのスタイルと知性を合わせもつベッピンさんでウキウキ気分にさせてくれた。
 タクシーで市内中心部のSAVOY HOTEL へ。
昼間の曇り空の下をラッシュにまきこまれることなく順調にホテル着。
紺色の制服に身を包んだ年おいしドアマンがさっとタクシーに駆け寄ってくれる。気分良し。
 モスクワはメイン道路の道幅が広いので、両サイド建物の圧迫感は殆どない。建物は平均10階以下で、空が広く感じられた。
3泊したSAVOY HOTEL の朝食はどうか。
整然とした盛り付けで見た目よし。味よく品数も多い上にボリュームもたっぷりだ。サーモンは本場だけに新鮮で香りも漂ってる。重厚な舌触りすら感じた。大きな丸ごと一匹丸焼きの鮭も豪華で滅多にお目にかかれないのでは?。
室内の雰囲気も、従業員の立ち振る舞いも感じがいい。本家ロンドンのSAVOY hotel を質量とも凌いでいる。
しっかり朝食をたべて、日中の観光地巡りに備え体力とエネルギーを十分に補強する。あとでこれが正解と判った。
 初日はゴーリーキー公園に向かう。是非とも行ってみたかった場所の一つ。50年前、このゴーリーキーパークこそ当時世界的ベストセラーとなった長編サスペンス小説(その年のアメリカ推理小説大賞獲得)の舞台だったからだ。まだ米ソの冷戦の最中、007の活躍が世界中を沸かせていた頃だ。
 このゴーリーキーパークはモスクワ市の中心部にあって静寂空間の中にその存在感を浮き立たせて居る。園内のすっきりと整備舗装された歩道もなかなかのもの。敷石の感触も滑らか。10メートル越える見事な緑の並木道。乾いた黒褐色の幹は先端まで新緑の芽に包まれている。恋人同士が肩を寄せ合い歩くためのロマンチックな散歩道にふさわしい。また孤独をかこつ中年男にはマラソンコースとしても最高ですね。
O2タップリのこの公園の空気を吸えば1日の疲れもとれ、空洞化した心も脳細胞とも癒されることうけあい。
緑の大小の樹木が作りだす空間がいくら複雑に重なり合っても豊富な広大な敷地に吸収されてスパイが活躍するには格好の舞台だと実感させられた。
 公園内の散歩道を歩いていくとGARREGE という名の遠目にもスケールの大きさを感じさせる建物が姿を現す。
モスクワ市ご自慢の現代美術館である。
建物は3階建で簡潔かつすっきとしたグレーの外壁で囲まれて美しい。
内部の展示品も現代絵画中心で見応えのある傑作が揃っていていつまでも見飽きない。モンローやグレースケリー、ジャクリーンなどの往年の美女軍団の写真の数々にもお目にかかれてはるか昔の青春時代の夢、幻を蘇られてくれますよ。
 
 サボイホテルの真正面に向き合ってたつ6階建ての大きなビルに注目する。
一つの大きなビル全体が子供天国になっているのだ。
あらゆる年代の子供用の衣服から靴、オモチャ、ゲーム類まで一式なんでも揃って居る。子供が乗って走る気動車まである。
親子連れでいつも超満員だという賑やかなレストラン街。
世界中の有名なレストランのオンパレードで5階と6階の全部を占めている。
冬厳しい気候だから子供たちの心身を癒し空腹を満たすには必須の溜まり場であると納得する。

 モスクワでは流しの雲助タクシーに注意。
外出にはホテルでタクシーを呼び料金を交渉してから乗る。
 目的の建物を一回りしたり、正面玄関脇を通過して裏口まで走ったりも珍しくない。玄関まで徒歩で半周させられるよ。
有名レストランも玄関から100メートル先で降ろしたりもする。
 正規料金は日本よりかなりやすいが、悪質なタクシーにつかまるとその数倍以上ぶったくられるので要注意。
トレチャコフ美術館やプーシキン美術館も行きは良い良い帰りは怖い。
帰りは悪質な流しのタクシーのカモにならないように。
 市内の観光施設巡りは旅行会社が主催して居る現地ツアーに参加することが安全かつ能率的。美術館巡りも同じ。
 美術作品で飾られたいくつかの地下鉄駅も、対独戦勝記念公園内に作られた巨大で豪華な噴水が自慢の宇宙センターもゴーリーキー公園も、モスクワ 観光は歩く歩く歩く。
モスクワでは観光スポットはタップリ歩かされるのが前提条件。
現地のロコさんも結構早足で歩きますからね。すっかり慣れてる感じ。
一般の観光客は市内の名所見物なら何度でも乗り降り自由な市の循環バスを利用するのがベスト。それでも歩かされるのを覚悟して。

 今回は3人のモスクワ在住の若い女性ロコさんたちに街を案内してもらった。
初日、2日目は政治経済学を勉強中という女子大生。健脚で長い足を生かしての移動。スタコラ平気で歩き続ける。息をきらせてついていくのが精一杯。
でもゴリーキー公園内は恋人同士のように肩を寄せ合って歩いてくれたのはいい思い出になった。サービスどこを心得てるんだ。さすが。
 3日目は40歳のロシア人男性と宇宙航空センターを見物。
経済学を専攻したという気のおけない親切な中年男。地下鉄で移動。
しかし利用した駅は皆平凡なコンクリート造りで絵画は見あたらず。
芸術的な絵画で飾られてる駅の数は限られている。美術品を鑑賞したいなら事前に十分な調査が必要。
地下鉄の駅の構内も長いいんだよね。プラットホームをひたすら歩いて乗り換え、乗り換えのたびに。
 4、5日目の昼は一人でプーシキン美術館とトレチャコフ美術館見物。
プーシキン美術館は評判どうりの名画のオンパレードで見応え十分。みなさんの好みみのこれぞという名画に出会えます。
 トレチャコフ美術館は午後に行ったので1時間以上並ぶというので諦めた。タクシーが蝟集。値段聞いたら正規料金の5倍以上。乗ってから降りるときに10倍吹っかけられて。こうなるとバカバカしくて、どこまで値切れるか持久戦。いくら値切っても2倍以下は絶対むり。
 
 モスクワ市内の名だたる有名レストランーーーじじいが一人でポツンとテーブルに座って食事するのは一流どこでは絶対避けたい。日本とは違いますね。異性の同伴者いないとどうにも格好が付かない。
Buono とWhite Rabbit 。モスクワでも指折りの超高級レストランですよ。
またTorandotto (トーランドット)とプーシキンというこれもモスクワを代表する有名店もあります。
どの店も内部の飾りは立派で、スターリン様式で建てられた超高層ビルのてっぺん(white rabbit)からの夜景はなかなかのもの。
また味自体は結構レベル高く十分満足させてくれますよ。

 今回の旅の案内役をお願いしたロコさんたち、皆さん智性?有り、話題も豊富で親切だった。おかげとても楽しかった。
ひとり目はviolinist 。モスクワ市内にあるローカルなオーケストラが日頃の職場だとか。アルメニア人と結婚していてまだ子供はいない由。モスクワ滞在は7年、気力充実していてとても活動的。夫婦二人とも同じオーケストラに所属して楽しい毎日を送ってる。物価が上がるのに給料は上がらず庶民は苦しい生活を強いられているとお嘆きでしたが。それでももう日本に戻ることはないでしょうと屈託のない話ぶり。強いなあ。
 二人目はモスクワ在住がまだ1年半でロシア語は喋れず。フリーランスの仕事を自宅でこなすロシア人の旦那とは英語で日常会話を交わす。
目下は専業主婦で旦那の食事作りが日課。まだ子供のような顔立ちに似合わず立命館大学の国際学部(大分市にある)卒でしっかりものとお見受けした。
 そして最後がモスクワ大学で政治経済学学を勉強中の女性。独身で素敵な男性を募集中とのこと。政治問題に興味ありとかでプーチン政権も含め深く突っ込んだロシア情勢も聞きたかったけど。当たり障りの無い会話で終わったしまった。しかしそれなりに楽しい時間でした。
若い女性の持つ独特の暖みのある雰囲気を3人の皆さんが持っていてそれなりのオーラを感じさせてくれたことに感謝。
 3人の女性たちは皆さんモスクワにすっかり根を下ろして堂々と生活してます。少なくとも一過性のツーリストの目にはそのように見えた。
1年の半分は暗い曇空と寒さの中、日本人社会を離れて馴染みの薄い生活環境に身を置いて自分の行き方をしっかりと貫いて明るく生きている。
その姿に80才過ぎのじじいはとても及びもつかず彼女らの発する揺るぎない
エネルギーとパワーに圧倒された。
女性はやはり、いつの時代も世界中どこでも男性より遥かに強いと改めて感じ入った次第。
 こういう貴重な経験は集団で移動する観光するツアーでは味わえない。
旅は一人でないと目新しい経験は不可能ですよ。
旅する人生には年齢はバリアフリー。
 モスクワが西ヨーロッパの諸都市とはかなり違う雰囲気を持つということは確認できた。忌憚なく言わせて貰えばヨーロッパ一の大きな田舎町。
俗にいうヨーロッパに来たという雰囲気は薄い。
注)モスクワ ではひとり旅の安全は自分ひとりでは守りきれない。信用の置けるガイドが必須。ツアーは安全ですが。

 

俳句

2018/11/30

亡き妻の 手塩にかけし 五月散る


俳句

タワマンや 地蔵向き合う 波はるか

夕焼に メキシカンハット 輝いて

ギンギラの 朝の光に サツキ燃ゆ

葱坊主 赤の広場は 五月晴れ

モスクワの 夜は光り満ち ささめ雪

タワマンや テラスに地蔵の 影長し

春冷えや 七色の噴水 夜空裂き

菜の花や 美女立ち止まる 地蔵かな

精悍に はやぶさ舞いて 藤ゆらす

桜散る 川面を逆上 鮒の影

夜桜に 伸ばす指さき 凍りつき

満開の 桜に重なる 赤リボン

早春の 冷たき風に 涙凍る

バシバシと 鳴り響く波音 冬の海

氷上の 貴婦人滑る マチスかな

雪つもり バス停かすむ 最後尾

公園に 集まりし母子 寒気とばす

大晦日 満員電車は ブラック

暖冬の 落葉ずしりと 竹ほうき

暖冬の 大気を吸いし 紅葉かな

クリスマス ラブリーナイトの 熱き唇(クチ)

干竿に 胴体着陸す 赤トンボ

晩秋の 空に溶け込む 白き月

赤信号 指絡め待つ 落葉かな





 

墜落

2018/06/04

墜落、自家用ジェット機
海底から引き上げられ修復されたボイスレコーダーの記録;
墜落直前の録音内容:

「あれはよかったろう」「ああしてほしいんだろう」

「おいどうした、なかにいれろ。私をなかにいれろ、なにが起こってる?

なかにいれろ」

「あばずれ」「あのあばずれ女め」

「くそ、くそ、くそ、くそ」

「バン、バン、バン、バン」

「だめだ」

『あ』
コックピットで操縦桿を握る副操縦士のつぶやきとコクピット外からの機長の叫び声に重なるボディーガードが発射した拳銃音の記録だ。

事故調査関係者のなかで真っ先にこの録音を聞いた連邦運輸局事故調査委員二人の会話ー
「ボス?」
「ああ、聞いたよーーー」
「彼だったんですね。彼が女のことをこじらせて、あの客室乗務員とのことで」

2017年のアメリカ探偵作家クラブ最優秀長編賞受賞作「晩夏の墜落」。その墜落機のコックピットのボイスレコーダーの記録である。
いわばこの小説の のエッセンス部分だ。
このわずか100文字に到達するために25万個以上の文字が費やされ、読者を飽かせることなく一気に引きずり込む。
640ページ余の長編サスペンス小説。
最優秀賞作品ならではだ。お金払って読む価値あり。

 アメリカの大富豪が所有する豪華自家用ジェット機がニューヨークから遠く離なれた高級避暑地近くの海に墜落する。
9名の命が失われ2名が助かる。
現場捜査の責任者である連邦事故調査委員会主任の錯綜しつつも冷静かつ客観的判断力。その思考過程の全てと、途中から捜査の主導権を握ったFBI主任捜査官の権力をうしろだてにした強引な捜査。
ーー自己中心思考と振舞い。
そして全米のテレビ視聴者に絶大な影響力を持つ大物コメンテイター兼司会者の人の意見に全く聞く耳もたぬ傍若無人振り。
現代アメリカ社会の切実な問題点を浮き彫りに一つ一つの断面が切り出されて興味尽きない。

 ジェット機を墜落させた直接の犯人の副操縦士と、一時期は彼の恋人であった女性客室乗務員との複雑に絡みあいそして決して一致することのなかった両者の深層心理が悲劇の引き金になった。

機長であるベテラン操縦士と富豪一族のガイドの詳細な描写にも必然性がある。

ストリーは非ミステリアスな話題も幾重にも重なっていく。
奇跡的に生き残った4歳の男の子と荒れ狂う海の中でその子の命を助けた無名画家。主人公である画家は偶然にもその遭難気に乗り合わせてしまう。
そして、絶体絶命の死の海から命がけの脱出に成功し、一気に英雄に祭り上げられる。
美男(主役の男は必ずイケメンと相場がきまってるが)の彼を奪い合う3人の優雅な美女達との愛とセックスが展開される。
あまり嫌味を感じさせずにモテない世の一般男性読者へもそれなりのサービスも。

他人を思いのままに操つる絶対的権力へのあくなき欲望。
無限に膨らむマネーへの渇望。
コントロール不能にまで持続するセックス本能。
求めるものに男と女の差はない。

 いつの時代でも、現代社会も我々をかずかずの欲望が取り巻いている。
理不尽な嵐のような数々のストレスに打ち勝って1ケの大きな幸運を手に入れた人。
複数のそこそこの欲望をかなえた人。
空振りの果て両手を広げて呆然とする人。
人間とは成功と失敗の流れに翻弄されさまよう生物。
 カミユの名作「ペスト」が20世紀を代表するスーパーショットなら、このミステリーは難しいバンカーショットからの脱出である。100に1回のチャンスを成功させ、しっかり女神を捕まえた。

 このミステリー大賞受賞の傑作が細かな規則とクソ定規に縛られたなかで日々の生活を送っている日本人の目にどのように映ったのか。
せせこましい日本人の脳細胞から見るとこの小説はいわゆるミステリー小説の分類、概念からは外ているのだろう。
だから日本ではベストセラーにならなかった。
 平凡な男女の恋のもつれが生み出す深層心理の複雑な絡みが、しかもたった一本の糸のもつれが大事故の原因となった。
その後のストリーの展開が謎解きとは無関係ではミステリーの外枠と切って捨てられてしまった。
 こういう評価の相違は根源的に欧米人と日本人との差だ。
日本人特有のガラパゴス的発想が日本国内の狭小なミステリーの定義、定規の合致しなかった。
 今回、日経新聞小説大賞を審査した3人の作家たちが、もしこの小説を読んだなら(読まないだろうなあ)どのような評価を下すかなと想像するのも一興。
あのような小説に500万も贈与するなんて。
50年間、日経新聞紙代を払ってきた読者としては少々懐の痛みをかんじる。

 

 

 

最後